【感想】 歴史に残る外交三賢人 ビスマルク、タレーラン、ドゴール

 著名な外交を行った人たちに関する著書。著者は、日本が米国に追従し、主権を放棄していることが、自身の国家の命運を他国に委ねているとして非常に批判的な立場から、日本を批判している。日本に対する批判は色々あれど、外交のあり方についてはとても面白かった。

特に、フランス革命を好きな自分としては、タレーラン、ドゴールはとても好きなので、とても面白かった。もっとも、本著は、主にビスマルクに焦点を当てている。

 

【内容】

 国際政治においてもっとも強力な覇権国をカウンターバランスとして、勢力均衡の状態を作ろうとするリアリズム外交のパターンは、古代ギリシャから現在までの間、木hん敵に変わっていないのである。

 ビスマルク

 ビスマルクは、明治時代、ドイツに訪問した日本の岩倉市切断に対して、助言をおこなった。それは、日本が列強諸国と並美、不平等条約を改正するために、近代的な法制度を整えようとしているが、国際法は自国の利益に敵わなければ破られるのが国際社会の現実であり、表面的には礼儀正しく振る舞う欧米列強も、実際は弱肉小国であり、まずは何よりも富国強兵をして実力をつけることが重要である。このアドバイスを受けて、日本は富国強兵に進んでいった。

 他方で、日本の問題は、外交政策と軍事政策をビスマルクのように大胆且つ攻撃的に行うものだと確信してしまった点にある。ビスマルクは、あくまで、慎重な非戦的な勢力均衡主義者だったのである。そして、ドゴール将軍は、ビスマルクについて、「ビスマルクが偉大だったのは、彼が自国の戦勝に慢心することなく、もうこれ以上のセンスは不要だと判断する能力を備えていたことだ。」と評している。

 このようなビスマルクの対応にもかかわらず、どいつが強くなりすぎたため、これを遅れた英仏露の山国を二度の世界大戦に追い込んだという考えがあり、ドイツの統一が国際政治システムを不安定なものとした。他方、アジア圏では、中国一興で国家同士がバランス取り合うという関係になく、勢力均衡という概念が浸透しにくい状況であった。

 ビスマルクは、自国の主義や思想や好き嫌いを外交政策に持ち込まず、勢力均衡に力を注いだ。世界政府がいない無政府状態を踏まえれば、自国の価値観を押し付けず、均衡を図る方が妥当だと判断したのである。

 ビスマルクが出世した背景には、とうじ陸相出会ったローンがアルバイトとしてビスマルクを雇った経緯があり、人生何が重要かわからないものである。

 普墺戦争に勝利したプロイセンは、大国を倒したことで、領土の割譲や巨額の賠償金を目論んでいた。しかし、大勝利に舞い上がっていた国王と軍部を押さえたのがビスマルクである。オーストリアを弱体化させすぎると、オーストリアからの将来の助力を失い、勢力均衡を保てないと判断したのである。大きな屈辱を与えても国際政治の問題は解決されないと考えたのである。政治家の任務は、二度と戦争を起きないようにすることであり、相手国を裁くのではないのである。ビスマルクは、五極構造(ロシア、フランス、イギリス、ドイツ、オーストリア)が国際政治の中心であり、三極が作る多数派に所属することを目標としていた。三極に所属すれば、その他の2極が三極に挑むことができない。戦争に勝つことと戦争後に政治的に有利な立場に立つことはまた別なのである。

 しかし、ビスマルクは、普仏戦争でフランスに勝利した際には、領土割譲をすべきでないと考えながらも、国民の要望に反対できず、アルザスロレーヌを割譲させた。ビスマルクは、「人生最大の失敗」と言っているが、これにより、フランスはドイツに激しい憎悪を向けるようになったのである。

 ビスマルクは、ドイツ国内においても、対立する主義主張を持つものに対し、巧みにバランスを保つことで反乱を防いだ。また、人類初の社会保障制度を創設したが、これは社会主義運動を推させるために、これらの主張をあえて汲み取ったのである。

 タレーランも、ビスマルクと同じ勢力均衡主義者である。彼は、ナポレオンが廃位された後、正統主義という考えを持ち出した。ナポレオン一人が加害者であり、フランス革命前の秩序にも同窓としたのである。そして、これを実現してしまい、革命前の領土を回復させ、賠償金の支払いもゼロになったのである。そして、どさくさに紛れてイギリス的な自由主義的な憲法を制定させ、ルイ18世に認めたせた。彼は一貫して自由主義者であったその信条を貫いたのである。また、他の4カ国は、ポーランドザクセンの領土問題で対立しており、タレーラン国際法を盾にこれらの国の独立を主張し、4カ国の間に溝を作り、勢力均衡を作ったのである。

 ドゴールは、アメリカの覇権主義外交を牽制し、拘束するを目標とした。中ソもアメリカに対して勢力均衡を維持する装置であり、イデオロギーに拘らなかった。そして、米ソの二極体制を解体してヨーロッパの自由を回復させるには、第三極が必要であると考えた(これは失敗した。)。国際政治の多極化を目指し、米ソが核を独占すること防いだ。多極化した国際構造だけが世界各国の独自の文化と価値規範を維持することを可能にする国際システムと考えたのである。ドゴールは、戦後の勢力均衡を保つために、従来の多数の強国の均衡がなくなったことを背景に、新たな勢力均衡を作ろうとしたのである。

【感想】

政治は、対局を見据えて行われるものである。将来を見据えれば、戦争を防ぐことが第一である。自国が強くなりすぎることが必ずしも自国の利益になるわけではない。アメリカは自然と強くなったが、ナポレオンのように積極的に均衡を崩して仕舞えば、良い結果を生まない。必要なのは、主観的な価値観で動くのではなく、対局的な価値観なのであろう。