【感想】国際人権入門

司法修習の講義で国際人権法があったため、読んでみました。

日本では国際法は裁判などでもあまり活用がされていない。そもそも、大学で学ぶこと自体が少ない科目である。司法試験の選択科目になってはいるが、選ぶ人は最も少ないという悲しい科目である。でも面白い。

 

ヨーロッパに留学したときには、国内法の授業でも国際法やヨーロッパ人権裁判所の話が出てきていた。国内法との関係、優位性を明らかにするためだと思う。しかし、日本の国内法、例えば、民法や刑法、民事訴訟法や刑事訴訟法を勉強したときにそのような話はほとんど出てこない。本来であれば、国際的な基準も勉強すべきなのだろうが、これは、日本が国際的に遅れているからなのか、そもそも他国との関連が乏しく、そのような発想にならないのかはわからない。

 

人権条約(自由権規約子どもの権利条約など)は、個人通報制度を設置している。人権侵害を受けたと主張する個人が、国内で利用できる救済手続きを尽くした後に、国を通さずに人権条約の委員会に救済を申し立てられる制度である。しかし、日本はこのような制度を条約に批准しているにもかかわらず、使用できない状態になっている。国際機関からいろいろ言われるのは面倒ではあるのだろうが、やはりこのような制度を取り入れていかないと、国際的な人権基準に達しないのだと思う。

 

国際人権法は、国際的な基準から人権が遵守されているかを判断することができる。これは、遠い国の話ではなく、日本の問題でもある。例えば、入管法では、容疑者と疑われる場合には、事実上無期限の収容が可能になっている。刑事訴訟では原則23日にとなっていることと大違いである。上記の個人通報制度において、オーストラリアではこのような収容が違法だと判断されたこともあり、通報制度の受諾が待たれるところである。もともと、国の制度というのは、権力や先例に基づいて、個人の属性に関わらず腐敗しやすい性質を持っている。だからこそ、腐敗していないかをチェックする機能は絶対に必要なのだろう。

 

また、かつて国籍や人種を理由として公衆浴場が外国人の立ち入りを拒否した事件があり、これは不法行為ということで裁判になった。そのとき、店主の言い分としては、このような差別が禁止されていれば、他の客にも強く言えたのに、ということであった。おそらく、他の客から外国人がいるのであれば銭湯にこないと言われたのかもしれない。確かに、店主も悩んだ結果なのかもしれない。そういった意味で、法律で明示的に差別を禁止することも重要なのだと思う。

 

これらは外国人の問題でもあるわけだが、最近の奨学金の問題も人権の問題である。社会権規約では、教育を受ける権利が保障されており、自由権規約ほどの強い義務はないが、不断の努力がなければ義務違反となる。現在、奨学金の返済が問題になっている。法曹になるには、現在では、4年間の学部、2年間の大学院、1年間の司法修習、大学院卒業から司法修習までの無職期間も含め、約8年間かかる。さらに、司法修習は修習に専念させ、就労を基本的に禁止しているのに、月額13万5千円しか支給されない。これで生活するのは無理である。法学は参考書も高い。そのため、司法修習でも借金をする人がいる。このような制度を作った人にも苦悩はあったのだろうが、修習生の人権を何ら考えていない制度であることに間違いはない。

 

国際人権は、今の制度を別の視点から疑うことができる意味で、非常に示唆に富むものであると思う。もっとも、国それぞれに文化や歴史があるのだから、その辺りも考慮しながら考えないと、あまり意味がないのだろう。