カウンセリングを受けてきた

先日、さるところでカウンセリングを受けてきました。

 

1時間半の初回面接でしたが、あっという間の時間でした。

さすが、臨床心理士ということもあるというのか、話を聞いてくださるのが上手で、とても話しやすい時間でした。

 

さて、普段人の話を聞くこと、ある種のカウンセリングに似たことをしている身としては、いろいろと感じることがありました。

まず、第一に、質問に的を得た応答をすることは難しい。話したいこと、普段自分なりに問題を分析してきたことがあるから、口から自然と出したい言葉が多すぎて、質問に少しでも触れる言葉、思い出した言葉に関係する記憶がどんどん蘇ってきて、するすると言葉が出てきてしまいました。自分なりに内容をまとめたり、整理したりすることができずとめどない感じは、ある意味で仕方がないことなのだと思いました。面接者が質問で誘導してくれることがあって、初めて会話に道ができる感じがしました。

第2に、全部理解してもらうことは難しいということです。とめどなくあふれ出る言葉も、すべて出し尽くしていない以上、相手がすべてを理解しているわけではありません。しかし、数度、仮に十数度の面接があってもやっぱり話せていないことは多いのでしょう。逆に、ここだけは話さないといけない、と自身で感じている部分でがあるからこそ、そこが伝わっていないから、わかってもらえていない、と思っているんだと思います。その辺を認識して、きちんと伝えると、わかってもらえた、必要な情報を与えた、と思えるのでしょう。

第3に、魔法の杖はないということです。カウンセリングを受ければ、過去のいろいろなものが掘り起こされて、その日から人生が一転するような印象がありました。光が差すようなイメージがありました。でも、少しずつ変えていかなきゃいけないことなんだと感じました。うすうすそんなことは思っていたけれども。

 

いろいろ、思ったけれど、やっぱりカウンセリングに行くということは、一歩なんだと思いました。それでよかった。これから少しでもよくあればいいと思う。

 

少し感じたのは、以前と違って、抵抗なく自分の悩みを話すことができました。なんでだろう、と感じていたけれど、部屋のつくり、一つ一つの気遣い、すべてが私が話しやすいように配慮されているからなんだと感じました。ああ、よかった。

面接が終わりに差し掛かるとき、また面接を受けたいと思った。もちろん、何かに頼りたい思いがあったからこそ、そういう思いがあったんだけれども、この人たちだったら、もっと話したい、理解してほしいと思ったからなんだと思います。

宿題が出ました。みじかなひとにそうだんしてみるか、すこし枕詞を添えて話に入ってみるか、具体的な失敗談を思い出すか、です。

少しづつ、トライしようと思います。よかった。