カウンセリングを受ける恐怖について

本日、初めてカウンセリングを受けてきました。

 

よく、性被害を受けると、警察などでまた性被害のことを根掘り葉掘り聞かれて、聞かれ方によっては二次被害を受けるという話を聞きます。

カウンセリングも二次被害ということがあり得るのだと感じました。

 

 悩んでいたのは人間関係のこと。留学に行ってから人間関係のことを悩みだし、仕事を始めてから悩みが深かったので、カウンセリングを受けようと考えていました。まずはその話から。

 

 まず、第一に、カウンセリングって受けることへの抵抗が強い!

受けよう受けようと思って実際に予約するまでに、なんと半年かかりました。

うーん、われながらチキンですな。メールならまだしも、これが電話で予約となるとハードルが高い!しかし、メールだとキャンセルがしやすい!一回キャンセルをしてしまった。という極めてチキンなこと。やはり、抵抗が強い。

 

 第二に、予約してから行くまでにまた抵抗が強い。

実際に予約してから行くまで、いろんなこと、実際に言うであることを想像して吐きそうになる。あー、しんど。前日から体調が悪くなる。

 

 なので、カウンセラーの人に理解してほしいのは、カウンセリングを受けるまでに、当事者非常に強い恐怖を受けていることである。わかってほしい、これは是がひにでも。

 

 さて、実際にカウンセラーと会いましたが、

 まず、部屋でか!!ひろ!!

 

学校の一教室のようで死ぬかと思いましたね、ほんと。こんなところで自己開示できるわけなくね!!カウンセリングを受ける場所なの、ここ!とびっくり。

 

 さて、まずここで、とりあえず席に座ったわけですが、カウンセラーの目見れない。抵抗が強い。目がきょろきょろする。だって、ねてえ。極めて侵入性が高いんですよね。

 まあでもいいかんじのおじいちゃんだし、大丈夫かな、とおもっていたんですが。まずびっくり。

 きけよ!俺の話!

いや、飲み会ならさ、おじいちゃんの話聞くよ、そりゃ。でもさ、ここさ、

 カウンセリングルームでしょ!

と思うわけですよ。なんかおじいちゃんのためになる話されましたし、私この日2割ぐらいしか話してないし、沈黙になるとカウンセラーやたら話し始めるし。

それもさ、何がいやだって、話を聞いてくれないから、じいちゃんの話、

 全く的を得ていない!!!!

話聞いていないのにあどばいすされるなんてありえないでしょ!

 

 

 なので、一般論の話で勝手にこっちのことを理解してくるし、ほかの患者のことを私に話をしてあてはめてくるし、最悪でした。何も話を聞かれていないので、どれだけアドバイスを受けても全く響かないし。むしろ、害悪しかない。また、一般論で片づけられそうになると、自分が悩んでいることが極めて陳腐なもののように思えてくるんですね。帰り道、涙が出てきました。自分の悩み、特にここまで抵抗上がる中できたカウンセリングなのに、自分をぞんざいに扱われた気分でした。

 最後に5000円といわれ、それも初回で終わりなんだ、と思ったり。心から最悪の時間でした。カウンセラーの人が最後に言った言葉が、「(私の話で)何かヒントありました?」でした。カウンセリングとは、あくまで自分が主体性を発揮する場所であるはずなのに。カウンセラーとしてさえ失格だと思いました。

 

 話を聞かずに、一般論で片づけられることの恐怖は、自分の特殊性を無視され、自分をぞんざいに扱うように感じることです。それは、勇気を出してカウンセリングを受ける立場の人からすると、本当に絶望に近い形でダメージを受けます。

 話を聞くこと、一般論でか片づけないこと、相手の立場を理解すること、カウンセリングにとってもっとも大切だと思いました。また、最後に加えますが、ほかの患者のことを笑い話にするカウンセラーはくずです。これは許せない。

 

 というわけで、今度は別のカウンセリングを受けることにします。