自分の中のspecialityの扱いについて

対人関係を築くとき、どのようなものを築ければその人と良好な関係を築けてと言えるだろうか。

私は、それこそ秘密の共有だと思っている。それは意図的に誰かに秘密を共有することで仲良くなるのではなく、この人にならその秘密を言えるだろうな、その感覚がその人と対人関係を希求する理由なんだと思う。

そして、秘密の共有は甘美だ。その人とスペシャルな関係を築くことができた感覚に襲われるからだ。話は変わって、人は成長する段階で友人関係が変わるという。まるで恋人とまで言えるような同性との関係を築くのだという。その後友人関係は落ち着いて、多様な対人関係を築くことができるようになるらしい。おそらく、親友のような友人関係が、友人関係を築いていく上での内在化された安全基地としてのイメージを作るんだろうな。

とりあえず、秘密の共有は甘美だ。その人と特別な関係を築くことができたと感じる。その人との間で自分を特別だと感じることができる。他の誰でもない特別な人間であることができるからだ。それは相手にとってもそうなんだろう。

ただ、どの程度の秘密を共有できるだろうか。

自身の根本的な秘密を共有できるのだろうか。それを共有してしまったら、自身の神秘性を失ってしまう気がする。それを与えてしまったら、相手の自身に対する理解が完了してしまう気がする。それは大切なものを失ってしまうことと同時だ。自身の自身に対するspecialityを失ってしまう気がする。

そして、もし全ての秘密を知られたら、相手のコントロール下、その人にすべてを握られてしまう感覚があるのではないか。

同時に、秘密を持たない人もいると思う。いや、あるかもしれないが、比較的秘密を持たない人がいる。人に自身を晒すことが容易な人間だ。ただ、それは自身のspecialityをあまり持たないことを意味するのではないか。

成長するということは、自身のうちにこもった自身の持つspecialityを手放し、自身が感じるspecialityを大事にするのではなく、そのspecialityを唯一無二の存在に消化させていくことなんではないか、客観的な意味のそれで。

同時に、自身のspecialityと適切な距離感を持っていくことなんだろうと思う。

specialityの扱い、それが大人になるということなんだろう。