伊坂幸太郎

サブマリン

 

前作チルドレンからの続編。主に家庭裁判所調査官とその少年を描いた作品です。

そもそも、家庭裁判所調査官という仕事をご存知でしょうか。

家庭裁判所調査官とは、家庭裁判所に配属される公務員で、家事事件と少年事件に主に配属されます。少年事件では、少年、保護者、そのほか関係者と面接をし、少年の処遇を行動科学の観点を取り入れ、意見する役割を担っています。

これは、成人とは違って、可塑性のある少年には、非行性、すなわち罪の重さや深化の程度だけではなく、要保護性、すなわち、どの程度ケアをすべきか、することによって変化しうるかを考えて処分を決める必要があることに由来します。そのため、どんな罪を犯したかだけではなく、どんな生活史を背負い生きてきたか等を把握し、適切な手当てをする趣旨もあり、特別に少年事件を担当する仕事となっています。

まぁ、だからといって特別何かできるわけではありませんが、少年の人生全体に対するケアをするためにその事情を把握するために、置かれている仕事といえます。

 

本書の話から脱線しましたが、重大事件が起きるたびに、厳罰化の声を聴きます(誰の声かは知らないし、本当にあるかどうかも知りませんが。)。しかし、少年自身も、それに関わる人も、強い葛藤を持ちながら生活していることは本書に描かれています。そして、犯した罪を罰すれば済む、ということはなく、死刑にしてその人を排除しない限り、必ずその人が社会に、あなたの家の隣に住むこと可能性がある以上、単なる排斥では物事は解決しません。それは、厳罰化しても済む問題ではないし、一方で、ケアを手厚くすれば済む問題ではなく、共同体として生活していることから必然的に生まれる葛藤なんだと思います。それは、受け止めるのは大変だけど、社会で考えていきたい課題です。

最後に、非行、犯罪、とはした人が悪いと言われます。その人の人生にどんなことがあっても。でも、恵まれない環境に生き、その環境に手を差し伸べる人がいないのだとしたら、それは、決して人の問題ではなく、社会の問題だと思う、今日この頃です。往々にして、では、自分が犯罪被害者になったらどう思うんだ、という人がいますが、まぁ、普通に考えは変わりうると思います。だって当事者じゃないし。でも、当事者じゃない人がきちんと人の問題に首を突っ込んで考える社会こそ健全だと思うし、当事者ない人が判断することが大切だったりすると思うのです。しかし、まぁ、わかってないよな、職員の人は、というのは、まぁ、当たっているんでしょうけど。当事者じゃない人じゃないとわからないことがある、という人は決まって当事者じゃないです。関係ないから勝手なことが言える。巻き込まれることはよくないけど、きちんとかかわっていけば、当事者になってくるんです。決して本当の当事者ではないです。でも、関係者にはなるんじゃないかな。

僕は、当事者じゃないからできることがあるなんて言うのは、自分の場所を肯定するだけの詭弁のように思います。私は、関係者になりたいな、と思います。

 

さて、本の紹介からずれましたが、まぁ、数少ない家庭裁判所調査官を知れる本です。ただ、これでは全然わかりませんが、非行、というものは少し触れられるかも。お勧めできる仕事では決してないと思いますが、覗いてみるのはいいかもしれません。