ジュリアン【面会交流について】

 面会交流を描いたフランスの作品です。

 

 面会交流とは、父母の離婚中(または父母の別居中)に、子どもが、離れて暮らす親と交流することです。日本では、離婚すれば母親が子どもを引き取ることが多いため、多くは子どもが離れている父親と会うことを意味します。

 

 面会交流は、最近家庭裁判所で非常に関心度の高いトピックです。それは、離婚が増え、少子化が進んで子どもの重要性が増している中で、面会交流の事件が家裁で増えているからです。そして、単に増えているだけでなく、解決することが非常に難しい事件だからです。

 

 さらに、最近問題になっているのは、DV元夫(元妻もいますが、多く問題になるのが夫なのでここでは夫のDVを問題として取り上げています。)です。元夫が、元妻に対してDVをしていた中で、離婚後、果たして子どもを元DV夫に面会させることが重要なのでしょうか。元夫が元妻に対してのみDVを働いていたことを踏まえれば、DVだからと言って父子の交流を禁止する理由はありません。他方、父子交流が続けば、元妻は元夫から逃れられず、子どもの養育環境に悪影響を与えるため、面会交流を続ける理由はないと考えることもできます。

 

 さらに問題を難しくしているのは、DVの立証の難しさやDVの概念の濫用です。DVは家庭内のことであるため、また、夫婦は婚姻中であればDVがあっても問題化しないことがあるため、証拠がありません。そのため、DVが主張されても、実際にDVを裁判で認定することが困難です。他方、些細な言葉の暴言であっても、DVと声高に主張して、自身をDV被害者と主張する者もいます。このように、あらゆる事柄をDVの概念に含めて、DVという言葉を濫用する者もいます。そのため、自らをDV被害者と主張する者を説得することが困難になり、調停進行が難しくなります。

 

 このように、DVと面会交流は非常に関連があり、問題を複雑化しています。と、長々と書きましたが、【ジュリアン】はDVと面会交流について描いた作品になっています(以下ネタバレ)。

 

 映画は、面会交流の調停(裁判?)から始まります。主人公であるジュリアンが面会交流を拒否している報告書が読み上げられますが、裁判所からは信用されません。そして、面会交流が始まります。

 

 ジュリアン視点でそれから面会交流が始まっていきます。当初は通常の父親として描かれている父親が、次第に本領を発揮していきます。それは、単に子供と面会を楽しむ父ではなく、ジュリアンを通して、母親の電話番号を見つけようとしたり、ちょっとした雑談から住所を見つけようとしたり、ジュリアンに自宅を案内させようとしたり、あらゆる方法を用いて母親と連絡を取ろうとします。ジュリアンは、あの手この手を尽くして、母親の連絡先や住所を伝えないようにしますが、父親の魔の手が迫り、電話番号や自宅の住所が見つかってしまいます。そして、父親は母親に対して、復縁を迫ります。しかし、最終的に母親から拒否されると、父親は銃を持って母子のいる自宅に迫り、最終的に警察が来て父親が連れて行って終わります。

 

 銃が出でくるところがフランスっぽいな、と思いましたし、通常面会交流でこのような危機自体には陥らないのではないかと思う人が多いかもしれません。しかし、

 

https://www.sankei.com/life/news/170523/lif1705230001-n1.html

 

 のように、実際に日本でも殺人事件につながっているケースはあります。もちろん、例外的であるとは思いますが。

 

 この映画の特徴は、やはり主人公ジュリアン、子どもの視点で描かれているところだと思います。子どもの視点で、父親から迫られる恐怖を描いています。めちゃくちゃ怖い。もはやホラー映画です。実際、子どもからしたらこれぐらい怖いんだろうな、と感じるので、その意味でとてもいい映画だと思います。もっとも、この映画が示すケースは一般的ではないので、過度の一般化は避けるべきでしょう。

 

 とはいえ、面会交流に関心がある人にはぜひ見てもらいたい映画です。特に、弁護士など面会交流に関わる人は必ず見て欲しい作品ですね。