【パリ20区、僕たちのクラス】(DVD)

パリ20区、僕たちのクラス

 

DVDの表紙からは和気あいあいとする生徒と教師。きっと苦難を乗り越えて生徒が教師に胸の内を告白してわかり合いながらハッピーエンドを迎える..と思いきや。

作品終了後までまったく和解せず。見るも無残なバッドエンドであった。まぁしかし何でもハッピーエンドで終わるより、よりリアルさをかみしめることができたの両作であることに変わりはないと思う。

 

本作はフランスの郊外にある中学校で様々な生徒が集まる学校である。イスラム教、キリスト教、アフリカやカリブ、そしてアジア出身の生徒たち。彼らの親は海外からの移民や貧困層で、両親がフランス語をしゃべれなかったりする。そんな「底辺(言葉の選択肢としては正しいとは思えないが。)」の学校である。

 

赴任する教師たちは、生徒の授業は聞かず、宿題はせず、拘束は破り、邪魔ばかりする様にお手上げ状態である。実際に「クズで無知なガキどものくせに」「くそみたいな人生を送るなら勝手にしろ。」とある教師はぐちをこぼしてしまう。

 

まぁ教師からみたらとんでもない言葉だが、実際に毎日彼らと対峙すればそう思うだろう。私も子ども関係の仕事をしているから少しわかるが、彼らはきっと大人になってもそのように子どもを教育し、その子どもも同じように自分の子どもを教育するだろう。結局駆られのような生徒は永遠に再生産される中ら、実際にどこまでかかわるべきなのだろうか。勉強もせず、真面目に授業も受けず、邪魔ばかりする、そんな生徒たちのためになぜこちらかが毎日我慢して向き合わなければいけないのか。

 

本作品の主人公、教師はそれでもなんとか生徒に向き合おうとする。学内の生徒を評価する会議でも問題のある生徒スレイマンを長い目で見るよう周りを説得する。しかし、この時、スレイマンの問題性は彼の能力の限界にあると指摘する。教師としてはあくまで彼自身の人格を守るためであったのだろうが、その会議に出席していた生徒代表として女子生徒がこのことをスレイマンに告げてしまう。「能力の限界」という文脈を無視した言葉を用いて。

 

主人公もとうとう堪忍袋の緒が切れたのか、女子生徒と口論になり、売女という言葉を用いて女子生徒を侮辱してしまう。売り言葉に会言葉になって。それに連鎖反応を起こすようにスレイマンは教室から退室する..許可なく。そのとき偶然にも他の生徒をけがさせてしまったことが、彼を退学に向かわせる懲罰会議を開催させることになる。結局スレイマンは退学になり、最後にクラスの生徒が一年で学んだことを教師に発表して終わる..という形で幕を閉じる。

 

最後に主人公に訪ねられる形で生徒たちは、数学や歴史、地理、化学などおもしろかった教科について感想をいって終わる。

このとき、誰一人、国語(フランス語)について学んだことを述べずに授業が終わった。そして、主人公の担当教科は国語である。

 

正直、このときなんとも言えない悲しさに襲われた。主人公はスレイマンが退学になると、親が強制的に母国に送還することを聞き、退学しないように他の教師に協力を求めたり、努力をしていた。しかし、誰一人として国語について学んだことを述べなかったのである。最後まで、教師と生徒はわかりあえず、クラスは終わった。そして表紙の写真は主人公がクラスの文集を作った時の表紙であり、おそらく求めた姿だったのだろう。

 

結局この一年はなんであって、主人公の努力はなんだったのだろうか。そう最後に思わせる物語であった。しかし、それでも主人公は生徒たちと対峙しようとすることはやめないんだろう。それは、教師がどこまで生徒の面倒をみるべきかという恒久的な議題で、主人公は決してあきらめない、そんな希望だけは辛うじて残されたようなそんな話であった。

 

作品のところどころにフランス的要素があってとても面白かった。例えば、生徒の評価をつける会議に、生徒が数名代表としては行っていたり、ホームルームで、クラスの問題について互いに主張させて、議論させるところ。人格攻撃がなければ教師は見守りながら議論を生徒たちに任せる姿、そしてさんざん文句は言うくせに授業中は挙手をして発言する生徒たち..ん、なんかフランスの学校を垣間見た瞬間だった。

 

最後に、退学して転向させられた教師が、転向させた教師はくそだ、と発言していた。そのとき主人公はそれは君を救いたかったからだ、と発言する。見事なミスマッチである。両方とも真実を述べているが伝わらない。生徒は教師に対する不信感の塊で、自分をきちんと受け止めてもらえることを祈っている。ああ。悲しいねぇ。これは。