絶歌出版の感想 

平成9年に起きた神戸連続児童殺傷事件は、日本の少年非行の中でも、際立った事件の一つだと思う。

その少年が、最近だしたという本、「絶歌」

Amazon.co.jp: 絶歌: 元少年A: 本

アマゾンでは出版から4日で700件以上のレビューがついたりしています。

そして、被害者遺族からは、被害者遺族の同意なく、被害者について書くことに強い拒否感を持ち、回収を求めてる抗議文がだされました。

www.kobe-np.co.jp

出版自体に賛否両論はあるんだと思います。

 

私自身も、このような本を読むときは、印税が加害者に行くことを思うと、はたしてそれをしてまで買うべきなのか迷います。しかし、矯正教育にかかわる者として読みたい..ということで中古本を買うというなんともあいまいな決断をすることが多いです。

さて、この本を読む前に、

「無知の涙」をご存知でしょうか。

4人を射殺した永山則夫が書いた本です。永山則夫は、特に死刑の判決基準でも有名なので、知っている方もいると思います。

 この事件も少年事件であり、多数人を殺害した事件という意味では、本事件とも残虐性が異なるなどの意味はあるとしても、似ている部分はあるでしょう。

 また、永山則夫は、一連の執筆活動で文学賞を受賞するにまで至っています。

「無知の涙」等は、永山則夫を知る上ではとても重要ですし、少年非行の背景に貧困及びそれに伴い教育が与えられなかったことが背景にあることが強調されることになったのではないでしょうか。そういった意味では、この出版は価値があったのかもしれません。また、出版に伴い、永山子ども基金が設立されており、ペルーの貧困を対象としたお金の使われ方がしています。そう考えると、社会的にも許容されるような方法だったのかもしれません。そして、書籍の中で永山則夫が真摯に本件を反省しているのであれば、読了感も悪くないでしょうし、社会的許容性を満たし、自己満足を満たすものを超えた部分が見えてくるのでしょう。

 一方で、裁判の判決はだれでも見れるようになっており、当時の報道等を見れば、貧困や教育の欠如が非行に影響することはわかるでしょうし、一般にもそういわれています。そうすると、わざわざ出版しなくても社会に少年非行の背景を問うことに意味はなかったのかもしれません。確かに、当事者が書く肉薄した文章が感情に訴え、記憶に残りやすいという利点はあります。また、当事者の成育歴がわかると非行の背景分析もかのうになるかもしれません。おそらく、関係機関にはデータはすでに蓄積されていると思いますが。そして、判決文等は読みにくので、一般書籍が発行されることも意味がないではないし、書籍を買って、少年非行に関心を持つ読者が増えることにも価値があるかもしれません。やはり、報道では日々新しい事件が更新されて記憶に残らないこともあると考えられるからです。

 ただし、これには被害者の同意は不明ですが。

 さて、以上を考えると、出版に、

①必要性(具体的には社会的価値、世に問うことの意味づけ)

 A一般人が非行少年を考える資料になる

②社会的許容性

 A印税の使われ道

 B被害者の同意

 C少年の更生

③影響性

 Aほかの非行少年にも安易に出版を促すか

 B少年法等への悪影響

次第では、出版は社会的にも許容される余地があるのでしょう。

特に、「無知の涙」はこれらの要件(あえて要件といいますが。)を満たしている可能性があります。安易に出版が行われれば、ほかの非行少年にも安易に出版を促すこともあり得、それはよくないでしょう。

 さて、では本件ではどうでしょうか。

 ちなみに、私は「絶歌」読んでません。読んでないので、あくまでアマゾンレビューを参考にして書きます。それもどうかとは思いますが、とりあえず書いていきます。

①必要性について

まず、何を社会に問いたいのでしょうか。

これを考えるうえで、興味深いのは、

dd.hokkaido-np.co.jp

この記事です。

本事件を担当した元裁判官が勝手に少年審判全文を社会に放出した事件です。

もはや意味不明の事件ではありますが(正直、この裁判官あほなの?と失礼ながら思いました。名誉欲以外に何があるのか理解できないほどに。)、この事件でも被害者遺族から回収が求められることになりました。

ちなみに、「要旨では男性の成育歴が大きくカットされた。事件の特殊性や、その後も重大な少年事件が相次いでいることにかんがみ、全文を国民に読んでもらうべきだ」との判断から公表を決意されたそうです。

これ読んで、いったい、一般の人が何を知り、何を学び、何に生かすことができるんでしょうか。

 私は、まず、発表者側にここに、熟慮が見えることが必要であり、そのためには多くの文章を割かなければ、その思考プロセスが見えることが最も大事だと思います。

 簡易簡便な文章で抽象的に説明することは容易ですが、真に社会に何かを問いたいのであれば、それがどのような形で社会に役立つか思考プロセスを明示すべきだと思います。もちろん、万人が納得いく事由はなく、賛否両論はあり得るかもしれませんが、先述の文章からは、何の意図も思考プロセスも読み取れません。

 なので、まずは、その「思考プロセスを明示すること」が最重要であると考えます。

 では、本書はどうでしょうか。

確かに、事件は特殊ですが、その成育歴等を発表してもそこまで価値があるとは思いません。なぜなら、最近では少年非行の背景要因についても解明が進んでおり、わざわざ新たに何か情報を提供しても......というところがあります。確かに、読み物としての手記は面白いかもしれませんが、適切に情報を把握したいなら犯罪心理学の本でも読んだほうがましです。というか、特殊すぎる事件を一般人が読んで、どうしろというのでしょう。まさか、先述の事件の裁判官や非行少年は、それを社会に問うことで、一般の人々が何かしら行動を起こして、変化してくれることを期待しているのでしょうか。あまりに甘いし、人は、単に本を消費物として消費する以上のことはあまりないのではないかと思います。そういった意味では、本書は社会的な価値はあまりないのでしょうか。

 この点については、本書を読んでないので、また、読んでから考えたいと思います。

②社会的許容性について

 A印税の使われ道について

 さて、この印税はどうなるのか。アマゾンでは第一に輝き、多額の印税が入ることでしょう。自己の社会的努力によって成り立つ出版であるならば、印税は著者のもとにいくべきですが、他人の被害の上に成り立つ出版は、ある意味加害者という地位に依存した出版になります。そうであるならば、本人の努力ではなく、悪癖によって成り立つ以上、印税は著者に行くべきではないでしょう。

 出版社は、「太田出版では、印税の使途に関する意向は「聞いていません」と話し」とのことですが、出版時に話し合っておくべきでしょうね。出版社にも、そうでなければ出版しないぐらいの気概もほしいところです。その点を話し合っていない点に、出版社からも社会的意義よりも収入を見込んでいるという邪推をしてしまいます。

 この功罪は、少年本人だけでなく、出版社にも帰属します。出版社にも熟慮をもって行うべきでしょう。

 永山則夫は基金を作っているし、これは、いい先例ですね。

ちなみに、

www.j-cast.com

という記事があり、アメリカには、サムの息子法なるものがあるらしいですね。

著者の以前を差し押さえるという。これは、日本にも導入してもいい制度のように思えます。

 まずは、元非行少年の判断に任せ、もし寄付等しないのであれば、強制的にほかのところに寄付しましょう。やはり、営利目的の手記は社会的に許容されえません。社会的な許容度の問題は、非行少年が、更生施設等を経た後の社会の受容度と少年法制への信頼への影響、当該少年への社会の受容に関係してくるので、極めて強いメルクマールのように思えます。

 ②社会的許容性について

  B被害者の同意について

  本件では神戸新聞NEXT|社会|神戸連続児童殺傷事件 遺族の抗議文全文

のように、被害者から熾烈な反発を受けています。当然だと思いますし、毎年手紙のやり取りをしているのに、被害者家族に伝えていないことに驚きです。

  ちなみに神戸新聞NEXT|社会|神戸連続児童殺傷 加害男性が手紙、遺族「涙止まらず」にあるように、加害少年の手紙は、被害者にの心情に届く部分もあったようです。そうであるならば、この出版は、むしろ、被害者の心情を逆なでしているといえるでしょう。

  これは、被害者家族からすれば、被害児童のプライバシーに関する事柄でもあるので、それを知られたくないという気持ちは十分尊重されるべきですし、少年には、それを尊重する姿勢が求められます。それは、少年が更生したことの一つの証にも見えるからです。

  

 ②社会的許容度について

  C少年の更生について

   少年が更生しないで出版していれば、社会から反感を買うでしょうし、逆に、更生していれば、社会的な許容度は増すでしょう。そして、更生とは何か、という問いがここで持ち上げられます。

   ウェブ上のある文章に、「彼はずっとゾンビのように煉獄の現実を漂ってきたはずだ」とありましたが、私もそう思います。そうすると、少年は、一生その煉獄に生き、苦しみながら一生を終えることが求められのでしょうか。もしかしたら、多くの人がそうなのかもしれません。一生、幸福を甘受せず、不幸な人生を歩むことが更生なのだと。しかし、少年法の趣旨は違います。

   私の基本的なスタンスは、一定以上の重大事件を犯した少年は死刑が課されるべきだと思います。それは、社会、私、が彼を受け入れないからです。非行少年は往々にして熾烈な成育歴があります。だからこそ、犯行も仕方がないと思える部分があります。しかし、一定を超えると、仕方がない部分があったかもしれないが、それでもなお受け入れるべきではない、と考えます。なぜか、そのような過去を負った人を私は受け入れられないからです。マンションの隣に住んでいたら、引っ越すと思います。怖いからです。現代社会は、過去の狩猟社会、農耕社会と違い、人口の規模が桁違いなので、少年がどこでどのような暮らしをしているかわかりません。しかし、もしそのような人口規模が小さい社会であったならば、私は彼が隣人として住むことを許容していたか、現代社会は、匿名性に守られ、恐怖を感じにくくなっているだけで、本質は許容しないだけで、ある意味現代社会の間隔の鈍麻なのだと思います。ゆえに、一定の重大事件を起こした少年は、社会から排除すべきだと思います。

  しかし、これは私のスタンスであり、少年法の趣旨ではありません。少年法は、懸念に少年が育成されていることを望んでいます。そして、おそらく社会が少年を受け入れることを望んでいます。少年が過去を受け止め、まっとうになり、社会に貢献することを、そして、幸福になることを、望んでいるのだろうと思います。これは、ある意味社会の習熟度であり、日本社会がここまで来たことは驚嘆に値します。なので、まず、更生は苦しみを味わい続けることではありません。私たちは、少年を社会で受け入れることにしました。ゆえに、彼を受け入れる態勢を整えなければなりません。もし、受け入れながらも少年を迫害すれば、少年は、環境が故に、犯罪を犯すかもしれません。これは、社会と少年の相関関係による犯罪です。これを防ぐためにも、私たちは彼を受け入れ、幸せな人生を歩むことを望むべきであり、そこまで寛容であることが私たち社会の習熟度なのです。

   話がそれましたが、少年には更生することが求められます。

3影響性

 Aほかの少年へ、安易に出版を促すこと

 これはいけません。えてして、不幸な人間は人生を手記にし、承認を求めたり、人生を昇華しようとします。それはそれでかまいませんが、これで、社会に承認される、有名になれる、というような先例を安易に作ることは、ほかの少年にも出版を促し、不必要な出版が増えることもあるので、その点も考慮する必要があるでしょう。

 B少年法制等への影響

 アマゾンレビューでは、本書から、「だから少年法はなくすべきだ」という安易な結論が見られます。統計的に、外れ値から全体を論じることは論外です。少年法が対象とする中でも、本書の少年は特殊です。しかし、一般では、感情的に議論が進むこともままあります。そして、非専門家は、論理的理解よりも感情的理解が優先される傾向にあるため、本書が悪所であれば統計上の「外れ値」による少年法の改悪が進む可能性があります。

 そのため、この点は極めて重要ですし、ほかの元非行少年にも悪影響があるかもしれません。

 

以上一切を考えながら、出版を考えてほしい、というのが私の考えです。

 ちなみに、付言すると、

憲法上21条の、表現、出版の自由として、制限されえないのかも疑問です。出版を前提にサムの息子法の話を出しましたが、そもそも出版が差し止められるべきなのだろうと思います。被害者遺族の意見を尊重すべき。

②本事件の審判文章を公開した裁判官の影響は、本出版に影響はなかったのでしょうか。もしあったのだとしたら、いや、あったかもしれない、その蓋然性を高めたかもしれない、そう推測させるだけで、元裁判官、あなたの判断は間違ってましたね、と思わざるを得ない。