【感想】サイコパスの真実☆☆☆☆☆

犯罪心理学の研究者が書いたサイコパスに関する書籍。本書によれば、専門書すぎず、簡易すぎず、実証的な内容を踏まえたサイコパスについての書籍である。

 

サイコパスについて非常にわかりやすく書かれており、読みやすい。良書である。

 

サイコパスとは、そもそも何か。ハーバード大学の心理学者によれば、その中心的な特徴は、良心が欠如していることである。

 

サイコパスの特徴は、対人、感情、生活様式、反社会性の4つの因子で特徴付けられる。

 

対人は、表面的な魅力であり、カリスマのように他者を魅力すること、他者操作性、病的な虚言癖静的な奔放さ、自己中心性と傲慢さ、などである。

良心や感情が欠如しているにもかかわらず、他者を操作できるのはなぜだろうか。私として、それらを理解することなしに他者を操作するということには疑問があり、というか、情緒的な交流なしに適切なコミュニケーションをとることも可能だということに驚きである。

 

感情は、良心の欠如、共感性や罪悪感の欠如、冷淡さや残虐性、浅薄な情緒性、不安の欠如である。

 

生活様式は、現実的かつ長期的目標の欠如、衝動性や刺激希求性、無責任性である。

 

反社会性は、少年期の非行、犯罪の多種多様性である。

 

遅くとも10歳から12歳頃までに多種多様な問題行動が出現するとのことであり、初発飛行の早さに驚く。また、再犯率は一般人の2倍、暴力犯罪に限れば14倍という恐ろしさである。

 

このように見るとサイコパスはとても恐ろしいが、サイコパスは、全人口の1%ほどいるらしい。全員が残虐であれば社会は回らない。実際、座間事件のようなサイコパスもいるが、そのような人ばかりではなく、成功したサイコパスもいるという。

 

それは、犯罪をしても見つからない人もさすが、政治家や経営者などとして能力を生かして成功しているサイコパスもいる。

ティージョブズもその一人であるという。友人を容易に捨てたり、人を騙したり、アイデアを盗んだり、自分の思い通りにならないと粗暴になったりしたことがあるというのである。他方で、とても魅力的な人物であった。また、サイコパス研究者が実はサイコパスだったということもあるらしい。

 

企業犯罪やモラルハラスメントの中にもサイコパスがいる可能性がある。実際の応力事件や不正の背景にはサイコパスがいた可能性がある。サイコパスが他者を操作し、状況を悪化させたこともあるだろう。最近は、企業の組織構造を改善することで防ごうとする傾向があるが、個人的な資質にも着目する必要があるかもしれない。

 

他方で、良きサイコパスもいる。感情に囚われず冷静に対処する外科医など、サイコパスの特性が優位に働く可能性もあるのである。

 

ではなぜこのような差が出てくるのか。原因は明確にはわかっていないが、そもそも犯罪に手を染めずに自身の幸福を最大化できる人間はしない人もいる可能性、良い環境に踏まれてサイコパス特徴の発現が抑制された可能性もある。

 

その原因としては、扁桃体、感情や欲求の調節をする部位の機能不全、セロトニンを分解する酵素の異常、セロトニンの異常により怒りを沈めることが困難である可能性がある。

また、環境が要因というわけではないが、遺伝子が発現しやすい環境(性的虐待)はありうる。そして、妊娠中のアルコール、タバコ、違法薬物などが与える胎児への影響は大きい。

 

 このようなサイコパスであるが、現代においてのみ生きにくいのかもしれない。ここまで平和を謳歌している時代は珍しく、以前は戦争、暴力がありふれた時代であった。そのような時代にあっては、サイコパス的な特徴はむしろ役に立ったのかもしれないし、英雄的な要素にもなりえた。時代的な意味合いもありうる。

 

 では、サイコパスは治療可能か。専門家の多くが難しいという。そもそも、サイコパスは自分の問題に悩んでおらず、治す動機もない。通常の犯罪者を対象としたプログラムでは、むしろ再犯率が上がったという研究もあり、サイコパス特有のプログラムが期待される。

そして、サイコパスを対象とした実証的な研究では、62%で成功し、家族を巻き込んだり、幼少期に治療を始めたりすることで解決率が上がるのである。

 

では、現代社会においてサイコパスはどのように見られるか。司法の場において、アメリカでは、サイコパスであれば重罰化される。

日本ではどうだろうか。そもそも、遺伝的な要素のサイコパスは罰せられるべき、責任能力があると言えるのか。

 

様々な疑問を私たちにサイコパスは投げかける。

【感想】ウィニコットを学ぶ

ウィニコットの論文を著者がわかりやすく解説する物。

精神分析の勉強をしたくなり、読んでみましたが、完敗しました。私の頭の問題もありますが、難しすぎる。読めたところだけ以下抜粋し、頭の整理をします。

 

 精神分析の大家はフロイトであり、フロイトは、静的なエネルギーであるリビドーが人間をどう気づけていると考えた。一方、ウィニコットは、母親と赤ん坊の関係性が基本であると考えた。そして、人は潜在的に成長するポテンシャルを有しており、それを環境が受け止めることで成熟過程が展開する。しかし、それを環境が完全に受け止めることは不可能なので、人は何かしら不完全さを抱えつつ生きていかなければならない。また、フロイト以前、自己が形成されるまでを主に扱い、フロイトが主体性を重視したのに対して、人間は関係性の中で生きていると考えた。

 ウィニコットは、そもそも、普通に生きること、人生を柔然に経験することが治療の目標であると唱えている。それは、人間は基本的に成長するポテンシャルを有しているが、それを発揮するには、それを抱える環境が必要であること、人間にはパラドックスを経験する能力があること、このような考えを基にしている。これらは、ウィニコットが主張するまでは誰も主張していなかった。

 ウィニコットの主張で興味深いのは、軽度の失敗があってこそ、外界に適合する方策を考え、社会に適応できるということである。適応を目指して外界に迎合した自分を偽りの自己というが、病的に肥大すれば精神病につながるが、適度な物であれば、環境に適応する方策であり、健康さを反映したものであるというのである。

 

 ウィニコットは、次第に、解釈よりも一緒にいることの方がはるかに重要であると主張するようになった。

 ウィニコットにとって、家はくつろげる場所だったらしく、だからこそ全ては家庭から始まるだったのだろう。

 

 個人的感想

 精神分析は、自身の人生を分析することが出発点になるため、その人の人生が人生に反映されているのだろう。

 パラドックスをいかに抱えるかが大事なのだと思う。安易に何かの答えを出すことは、思考を大事にしている人にとっては致命的なのかもしれない。何かについて結論を出しているようで、出せていない結論が自分を蝕んでいく。大事なのは、答えが出ない問題は答えが出ないまま自分の中に持っていくこと、そして、思考をし続けることなのだと思う。自分の中にパラドックスを抱えていくのは、予想以上に難しいものなんだと思う。

人類と病ー国際政治から見る感染症と健康格差☆☆☆★★

 昨今コロナが流行る世界の中で、コロナについて一冊何かを、と思い、手に取った一冊。国際政治の中で、感染症などに対してどのような取り組みがされてきたかを解説する一冊でした。

 

 国際政治からみたとき、ある種感染症は人類の希望となりうるのではないか、と思いながら本を読みました。感染症は撲滅されるべきもので、現在のコロナについても何ら喜ばしいものではないことは確かです。死者も出ているし、希望というのはあまりにもナンセンスです。

 しかし、国際政治は現在敵を失ったように思います。今まで、西と東のように何らかの対立軸をもとに国家同士は対立してきました。そして現在、アメリカが自国優先主義を掲げ、国家の連帯が弱まってきています。国際協力が昔と比べてないがしろにされてきたのかもしれません。しかし、コロナなど感染症は、世界的に対応しないと防げません。そのため、国際協力の観点から見たとき、コロナは世界が結束する機会であり、結束しなければ解決しない問題です。そういう意味で、共通の敵として存在するコロナは、世界が結束する重要な場なのかと感じました。

 

 しかし、本書を読むと、やはり、実際はうまくいかないようです。WHOが出来上がり、世界の感染症に対策が講じられてきました。マラリアの撲滅などWHOは重要な役割を果たしてきましたし、エイズについても、世界を巻き込んで致死率を下げてきました。そのような中で、2002年にサーズが流行しました。このとき、中国やカナダに渡航延期勧告が出されましたが、あまり効果はなく、経済的な損害が大きかったようです。ただ、WHOは、中国、香港、ベトナム、カナダ、シンガポールに旅行延期勧告を出し、検査を徹底して、感染の防止に努めました。国際協力が発揮された瞬間でもありましたが、各国のWHOに対する感染症の報告は自発的なもので正確さや迅速性が保証されたものではなく、また、発生国である中国は適切な情報をWHOに伝えていないなど問題も浮き彫りになりました。

 このとき、経済的な損失が大きかったことから、国際保健規則は、感染拡大防止対策は、社会・経済に与える影響を最小限にとどめるように配慮すべきことが加えられました。この後、WHOは渡航自粛勧告を出していないようです。その後、エボラがアフリカで流行った時も、WHO内の担当地域ごとの協力ができておらず、適切な連携を取れず、対応は後手後手になりました。この時の反省として、緊急対策部署が設置されました。

 しかし、コロナ対策では適切に各国が連携を取れているとは言い難い状態です。これは、感染症が安全保障に関わるようになったからです。感染症の蔓延は国家間の軍事協力にも影響を及ぼし、安全保障に影響を与える以上国家の政治が感染症問題に非常に関わってくる事態になりました。中国は、アフリカなどに対して保健衛生の支援をし、プライドもあったのか、アメリカの援助をコロナについて当初受け入れないなど、国家の威信の問題もあります。

 このように政治が関わることで問題解決が難しくなる面があります。他方で、国家が協力してお金を出すことで解決することもできます。そのため、国家の関与は良い面悪い面両方あるようです。

 

 以上の通り、国際政治に左右されがちですが、このような世界的規模の問題だからこそ、国家が協力して取り組むことが期待されます。

 

重量ピエロ☆☆☆☆☆(映画)

伊坂幸太郎原作の重力ピエロ。初恋の人から薦められた小説を大学時代に読んだ。次の日にその人と話したくてあっという間に読んでしまい、頭に入らなかった。

だから、改めて社会人になってから映画を見てみた。大学時代の記憶は薄れていたが、とても面白い作品だった。

 

 平和な生活の中で夫婦と子供一人で仲良く生活してきた。しかし、30件のレイプ魔から妻が強姦され、妻は妊娠してしまう。しかし、夫は、産むことに決め、家族4人で仲良く生きていく。

 しかし、二男は、心の中で葛藤を抱く。周囲からレイプ魔の子どもと言われ、迷走していく。そんな中、落書き、放火などの事件が多発する。

 気づけば、放火場所と過去のレイプの場所が同じだということに気づく。

 二男は、生みの父を殺しにかかる。今までレイプの場所と同じ場所を放火してきた記事を送り続け、チャンスを与えてきたと。そして、殺した。

 長男は、二男が自首しようとするのを止める。なぜか。お前ほどこのことを考えた人はいない。裁判官にも、検事や警察にもわかってもらう必要はない。わからないと。

 そうかも知れない。わからない。

傲慢と善良☆☆☆☆☆

 とても面白い小説でした。テーマは題名の通り、傲慢と善良。

 婚約者が突然ストーカーに遭った。それをきっかけに結婚まで話をするめると、突如婚約者がいなくなった。主人公は、婚約者を探す中で、自分と婚約者の気持ちを知っていく。

 

 

 

 

 以下ネタバレとともに感想。

 

 

 

 

 

 結婚をするのと、独身のまま生きていくのと、どちらがいいのだろうか。どちらでもいいのだろうけど、大事なのは選択をすることなのだと思う。選択をしないまま流されていく、適齢期に焦って結婚するパターンはこちらの方がいい多いかのかもしれない。結局、そこには、自分の意思が介されていないから、良い結婚とも悪い結婚ともいえない。でも、流されているなら、結婚してみていいのかもしれない。だって、流されて生きているのであれば、世間の流れのままに生きていく方がいいように思う。やってみて、嫌だったらやめたらいい。

 

 誰もが自己愛が強い時代がきたのかもしれない。婚活をするとき、誰もが自分の理想は高くないという。でも、いろいろな条件を見せられて、結局その条件を受け入れることは多くない。それは、自分の価値と見合わないと判断するから。すなわち、自分の価値を高く見積もっているからだ。

 

 誰もが傲慢で、他者を見下しているのかもしれない。他者が他者を見下すのを批判するその口で、気づかないうちに他者を見下している。そして、それが気づかないうちにしているのがとても恐ろしい。気づかないうちに、善意で傲慢さを振りかざす。その傲慢さが他者を傷つけるとしても、相手が傲慢だから止むを得ないという正当化をする。自らを傲慢と理解しないその罪は重く、吐き気がする。そして、それは自分の価値を重く捉える、自己愛の強さがあるのかもしれない。

 他方で、社会の流れに則って生きていく人も多い。これは、規則に従い、善良に生きている。そして、自分がないのである。自己愛が強いのに自分がないという自己矛盾がすごい。というかこの観点で小説を書いた著者が凄すぎる。

 なぜ自己愛が強いのだろうか。それは、自分が世間のルールに則って努力してきたこと、報われて然るべきではないかという考えなのかもしれない。

 報われるのは、自分が必要だ。自分を知れば、自分が欲しいものもわかる。そうすれば、結婚したいのか、したくないのかもわかる。自分を作るには、傷つくことが必要なのではないか。傷ついた数だけ、自分の存在を悩む。その先には、自分が見えていく。でも、過保護に扱われて、傷つくことができなければ、自分に向き合うこともできない。そして、傷つくとは、単に傷つけばいいだけではない。自分のアイデンティティが揺らぐほどの傷つきが必要だ。小さな傷付きであれば、傷ついても、今まで生きてきた自分、それが依拠する社会のルールが自分を守ってくれる。

 そして、向き合わないといけない。向き合わないと、自分の傷もわからない。でもみたくない。だから選択できない。向き合って、選択したその先に、手に入れられるものがある。剥き出しの自己の後、やっと自分の欲しいものがわかる。そこから、自分の新しい人生が始まる。

 

 

統合失調症☆☆☆☆★

統合失調症とは何か。

統合失調症は、自己の統合が失調する病気である。妄想や幻覚という症状が代表的であるが、こうした妄想の中には、自我障害と言われる症状がある。自分の考え方が他者に伝わるという思考伝播、他人の考えが吹き込まれるという「思考吹入」、自分の考えが抜き取られる「思考奪取」などがある。

 

統合失調症の原因はよくわかっていない。しかし、現在有力と言われているのは、異常セイリエンス仮説である。私たちの脳には、ドパミン神経系があり、これが過剰に働くと、本来セイリエンスが低くあるべき事物のセイリエンスが上昇してしまう。そして、ドパミン神経系の働きを抑える薬の効果がわかっている。

 他方、遺伝的な原因はあるようです。近い親族に統合失調症患者がいれば、そのリスクは上がり、双子であれば、約50%の確率のようです。

 

 統合失調症の経過は、①前駆期、②初回エピソード、③寛解、④再燃、⑤慢性期などを辿ります。

そして、リカバリーとは、寛解しているのはもちろんのこと、その期間が十分に長く、さらに仕事や学業に戻れているなど社会の中でうまく戻れている場合である。また、本人自身も良い状態だと捉えられている状態です。

 現在のいろいろな研究を総合する宇土リカバリーできるのは7分の1らしいです。かなり少ないですね。ただ、もう少し緩やかなリカバリー、妄想は多少出るかもしれないが、社会生活には一定程度できる場合、このような状態も含めれば、50%はリカバリーできると言えるそうです。

 また、統合失調症は、ずっと悪くなり続けるのでしょうか。違います。初回エピソードの後、3年から5年以内で底をつくそうです。

 そして、統合失調症の原因は、上記の通り、原因はわかっていません。そのため、以前は、母親の養育のせいだと言われていたそうです。しかし、これは違うそうです。

 ただ、予後に向けた回復においては、本人や周囲の環境が大きな役割を果たします。本人の病気との向き合い方、家族の関わり方、支援者の関わり方が大きく影響するそうです。

 

 統合失調症の歴史的経過はどのようなものか。統合失調症は、過去、現在より受け入れられていなかったか。この点については様々です。例えばシャーマンや巫女などの存在がかつていましたが、統合失調症者だったかもしれません。そして、彼らは社会的に高い地位を与えられていたかもしれません。過去の方が、社会に受け入れられていたかもしれないのです。

 統合失調症は、他害のイメージがあるかもしれません。刑務所や精神病棟で隔離されるイメージもあるでしょう。とはいえ、統合失調症の他害の危険性は、そうでない人と比べてそこまで高くないそうです。重要なのは、本人の安全です。食事をとらない、自殺してしまう、そのような事態を防ぐには、緊急入院させる必要があり、隔離されていたのです。また、過去、哲学では統合失調症と天才が結び付けられてきましたが、現在は普通の病気として定着してきました。

 統合失調症は、ヤスパースによって、現在の流れに落ち着いたそうです。すなわち、患者理解の方法として、説明と了解の二つのモートがあることです。説明とは、生物学的な原因から病気の説明をし、了解とは、患者の立場で気持ちを推し量って理解することです。心の問題であれば、素人感覚でストレスや親子関係で説明してしまうものを、精神医学の専門家が克服できるようにしたのです。

そして、統合失調症の診断は、本人が考えていることを元にされるようになりました。これは、より患者の心に立ち入ることができるようになるとともに、病気の動物モデルを作ることができなくなりました。

 統合失調症は、自動車運転致死傷行為処罰法で、てんかんなどと並んで、正常な運転として支障がある状態に記載されています。

 

 以下感想。

 統合失調症が、ドーパミンの活性化と関係があるのなら、統合失調症と天才が関係あるというのも理解できます。過剰なドーパミンの分泌によって、脳の働きが加速的に作用し、天才的な思考や創造的な発明に近づくのかもしれません。そう言われるとわからなくもありません。

 また、統合失調症は、妄想、幻覚といった自我境界が犯されるものです。そして、天皇陛下万歳といった権威的な妄想もあります。なぜ権威的な妄想をするか。例えば、日常会話でも、有名人と知り合いであることをことさらにいう人がいます。往々にして、自分に自信がなかったりして自分を権威づけするのでしょう。それは、自己が不確かなことは確かめたいのはないか。

 統合失調症で権威的な妄想がされるのも、自己が不安定な証拠かもしれません。

バンクシー・アートテロリスト☆☆☆★★

バンクシーのすがたに迫る新書。

芸術を知らない私にも面白く読めました。ただ、芸術に疎すぎて、出てくる登場人物の半分は分からず、初心者にはやや分からないところも。とはいえ、とても面白い作品でした。

バンクシーは、正体不明の芸術家。

正体不明が貫かれているのがまたすごい。バンクシーは、地元ブリストルでは、当初は顔を出して活動していたらしい。だから、地元ではあいつか、みたいな所があるらしい。それでも外に漏れていないのは、地元全体でバンクシーを守っているんだと思う。地元の愛で守られている匿名性というのはなかなか美しい。

 

バンクシーの作品は、難民とか社会問題を扱っている。そこで初めて知ったのだが、スティーブ・ジョブズもシリア難民の子どもらしい。難民を受け入れることで、アメリカはあれほどの経営者を生み出す土壌を作り出すことができた。ジョブズが作り上げた利益を考えれば、難民を受け入れても十分お釣りは出てきそう。もちろん、簡単に利益考慮をすることはできないと思うけど。多様性は爆発だ、だと聞いたことがあるけど、その多様性がアメリカを支えているのかもしれない。そう意味では、移民を受け入れることはプラスに働く部分も大きいんだろうと思う。

 

ちなみに、イギリスでは、東ティモールで虐殺を行うインドネシアに抗議するために、インドネシアに輸送される戦闘機の工場に侵入して戦闘機を壊したらしい。これにより、実行犯4人を含む10人が逮捕され、最大10年、4億円の罰金を科される可能性がったそう。しかし、道徳的に正当化されるということで無罪になったらしい。反戦などの社会的活動が市民的不服従という文化に支えられて行われているイギリスの懐のデカさを思い知った。日本だとどうなるんだろう。やっぱり器物損壊で実刑になるような気がする。

アメリカでは、バンクシーの絵がイリーガルであっても公に認められることがあったらしい。芸術だからこそ認められるとしたら、芸術は違法性を乗り越えるんだろうな。違法性というのは、要は誰かが不幸になるということだから、その価値が認められれば、不幸を生み出すことはないのかもしれない。他方で、安易にイリーガルが認められるとして秩序が見出されることもあるだろうけど、そんな安易な真似はされないんじゃないかな。社会がもっといろんなものに寛容にあればいいのにと思う。

 

資本主義や商品文化、移民問題反戦など、社会問題に対するメッセージ性が強い作家。