傲慢と善良☆☆☆☆☆

 とても面白い小説でした。テーマは題名の通り、傲慢と善良。

 婚約者が突然ストーカーに遭った。それをきっかけに結婚まで話をするめると、突如婚約者がいなくなった。主人公は、婚約者を探す中で、自分と婚約者の気持ちを知っていく。

 

 

 

 

 以下ネタバレとともに感想。

 

 

 

 

 

 結婚をするのと、独身のまま生きていくのと、どちらがいいのだろうか。どちらでもいいのだろうけど、大事なのは選択をすることなのだと思う。選択をしないまま流されていく、適齢期に焦って結婚するパターンはこちらの方がいい多いかのかもしれない。結局、そこには、自分の意思が介されていないから、良い結婚とも悪い結婚ともいえない。でも、流されているなら、結婚してみていいのかもしれない。だって、流されて生きているのであれば、世間の流れのままに生きていく方がいいように思う。やってみて、嫌だったらやめたらいい。

 

 誰もが自己愛が強い時代がきたのかもしれない。婚活をするとき、誰もが自分の理想は高くないという。でも、いろいろな条件を見せられて、結局その条件を受け入れることは多くない。それは、自分の価値と見合わないと判断するから。すなわち、自分の価値を高く見積もっているからだ。

 

 誰もが傲慢で、他者を見下しているのかもしれない。他者が他者を見下すのを批判するその口で、気づかないうちに他者を見下している。そして、それが気づかないうちにしているのがとても恐ろしい。気づかないうちに、善意で傲慢さを振りかざす。その傲慢さが他者を傷つけるとしても、相手が傲慢だから止むを得ないという正当化をする。自らを傲慢と理解しないその罪は重く、吐き気がする。そして、それは自分の価値を重く捉える、自己愛の強さがあるのかもしれない。

 他方で、社会の流れに則って生きていく人も多い。これは、規則に従い、善良に生きている。そして、自分がないのである。自己愛が強いのに自分がないという自己矛盾がすごい。というかこの観点で小説を書いた著者が凄すぎる。

 なぜ自己愛が強いのだろうか。それは、自分が世間のルールに則って努力してきたこと、報われて然るべきではないかという考えなのかもしれない。

 報われるのは、自分が必要だ。自分を知れば、自分が欲しいものもわかる。そうすれば、結婚したいのか、したくないのかもわかる。自分を作るには、傷つくことが必要なのではないか。傷ついた数だけ、自分の存在を悩む。その先には、自分が見えていく。でも、過保護に扱われて、傷つくことができなければ、自分に向き合うこともできない。そして、傷つくとは、単に傷つけばいいだけではない。自分のアイデンティティが揺らぐほどの傷つきが必要だ。小さな傷付きであれば、傷ついても、今まで生きてきた自分、それが依拠する社会のルールが自分を守ってくれる。

 そして、向き合わないといけない。向き合わないと、自分の傷もわからない。でもみたくない。だから選択できない。向き合って、選択したその先に、手に入れられるものがある。剥き出しの自己の後、やっと自分の欲しいものがわかる。そこから、自分の新しい人生が始まる。