居るのはつらいよ(ケアとセラピーについての覚書) 感想 ☆☆☆☆☆

「「ただ居るだけ」と「それでいいのか?」をめぐる
感動のスペクタクル学術書
京大出の心理学ハカセは悪戦苦闘の職探しの末、ようやく沖縄の精神科デイケア施設に職を得た。
しかし、「セラピーをするんだ!」と勇躍飛び込んだそこは、あらゆる価値が反転するふしぎの国だった――。
ケアとセラピーの価値について究極まで考え抜かれた本書は、同時に、人生の一時期を共に生きたメンバーさんやスタッフたちとの熱き友情物語でもあります。
一言でいえば、涙あり笑いあり出血(!)ありの、大感動スペクタクル学術書!」

 

 本書は、臨床心理士が沖縄で触れ合ったデイケア施設のお話。物語調に読めてサクサク話が進む。読みやすい。読みやすい中で臨床心理学の話が散りばめられていてとても面白い。日常生活を専門的知識で読み解く最高の本でした。

 特に、ケアとセラピーの違いを明確にする点がとても面白かった。

 

 「いる」と「する」。何が違うだろうか。人は、「する」ってのは意外とできる。例えば新しい場所に入って、役割を与えられればそれをこなすことはできるだろう。でも、「いる」って難しい。何もせずにただその場所にいることは最初はとてもしんどいはずだ。

 「いる」っていうのは、「身を委ねる。頼る。依存。」そういう一面がある。 その場所にいてもいいんだ、そういう精神的な感覚が必要だ。

 そして、デイケアにいる人は、「いる」ことが苦手だ。絶えず何かで自分を満たしていていないといけないから。だから「する」は楽だ。

 

 セラピーを学ぶ際、「私は私、あなたはあなた」ということを学ぶ。自分と相手の境目をきちんとすることが大事だ。でも、ケアでは違う。相手は、他者に開かれていて、他者を必要としている。

 

 依存労働は、脆弱な状態にある他者をケアする仕事である。依存労働は、親密なもの同士の絆を維持し、あるいはそれ自体が親密さや信頼、すなわち、つながりを作り出す。

 依存労働は、例えば、誰かにお世話をしてもらわないとうまく生きていけない人たちをケアする仕事だ。それはまるでお母さんのように。近代に入って、このような仕事は専門化していく。そして、専門性が高まっていく。そうすると、例えば家政婦のようなケアをする人、ある種専門性が欠ける仕事だとして、不当に評価が下がってきた。

 これはなぜか。近代では、自立した人間を前提として社会が構成されている。自立していない人間はきちんとした大人とみなされない。だから、このような自立性については評価がされ、自立している仕事は評価さえっる。でも、依存はよくないとされているからそれに関する依存労働は評価されない。

 しかし、依存労働による支えを必要とする人がデイケアに現れる。そのような人はどのような人か。傷ついている人たちだ。セラピーは人の過去を扱い、直面化させる一面がある。これは本当に良いか。直面化は人を傷つける。傷つけないセラピー、それは心の深い部分を扱わないセラピーだ。矛盾するけど、それが必要なのかもしれない。

 そして、ケアやセラピーは、その人が滞った時間を正常に戻す営みなのかもしれない。

 

 「退屈とは身を守る円が閉じたことを示す偉大な達成だ。」

 私たちの周りには、円がある。自我境界。自分は自分だという境界が自分を包んでくれている。しかし、それに穴が開くと大変だ。自分が何かに脅かされる。統合失調症は、その典型例だ。幻聴がする。他者が自分の中に侵入してくる。そうすると、退屈なんてしていられない。何かが自分の中に入ってくるからだ。だから、統合失調症の人なら退屈したらだいぶ治ってきたと言える。

 そして、遊べる。遊びは、自己と他者が重なるとことで行われる。人は誰かに依存して、身を預けることができた時に遊ぶことができるのだ。一人で遊んでいる子も、実は心の中に母親がいるから安心して遊べる。

 退屈は、次第に、何かをしていても退屈だと感じる。これには、「安定」と「正気」が必要だ。自分に向き合う余力がある。

 

 恋をする時、私たちは現実の誰かを恋していると思える。しかし、実は自分の中にあるアニマが投影された結果。自分の心中のアニマが揺さぶられている。正反対の自分だ。恋の相手に投影している。それで、自分が生きてこなかった自分を生きようとしているのかもしれない。だから、恋はそれまでの日常を転覆させる。現実のためになんとか作り上げてきた自分を内側からやってくる正反対のものが破壊するのだ。

 

 僕らの社会では変わることに価値が置かれている。しかし、成長しないこと、治らないこと、変わらないことも大事なのかもしれない。

 

 援助者療法原理。誰かを助けることが自分の助けになるということだ。患者が治療者を治療することもある。グニャグニャだ。

 

 メンバーとは、ラテン語を語源に持ち、体の一部とか手足という意味を持つ。一方的にサービスを受けているのはユーザーだ。メンバーではない。

 

 ケアをしている人ができる最後は、「別れ」だ。「別れ」は事件だ。人の心をおきく揺さぶる。

 

 ケアとセラピーの違い。ケアは、その時同期のニーズに応えることで相手を傷つけないことです。セラピーは。傷つきに向き合うこと、ニーズを変更することです。セラピーは自立であり、ケアは依存だ。そのため、セラピーの前提は、ケアをされていることだ。

 

 「いる」っていうのは大事だ。でも現代社会の価値観に合わない。だからお金にならない。デイケア施設は成果も見えづらい。公的資金が投入されると、成果を出さない限り認められない。