【感想】トラウマの現実に向き合うージャッジメントを手放すということ☆☆☆☆☆

 トラウマ治療に取り組んできた著者の考え方をまとめた書籍。全体として、専門家としての限界を理解しつつ、専門家としての専門性を高めることを強く意識していたと感じた。

 

【内容】

 トラウマ患者に信頼されるには、治療者の人間性だけでなく、トラウマについてどの程度の知識を持っているかが重要である。治療者かぶれは患者を傷つける。芯がないまま、状況に応じて行動が変わると、クライアントは不安になり、裏切りを感じる。芯を構築して接していくことが本当の信頼につながっていく。

 

 私たちがクライアント、誰かと接するとき、ジャッジメント、自身の価値観を押し付け、相手を裁いている。しかし、怖いのは、それが主観的価値観ではなく、客観的事実として相手に押し付ける形となるからである。特に専門家が自身の価値観を伝えると、専門家が言った言葉だから、として、概して自尊心が低下して自信を失っているものは、治療者の言いがかりすら信じてしまうのである。

 

 そして、トラウマはジャッジメントの対象になりやすい。なぜか。自分の想像を超えた体験であり、どのように解釈していいか分からないからだ。だから既存の知識を用いて解釈しようとしてしまうのだ。

 

 ジャッジメントは傾聴にも関わってくる。トラウマ体験者の話を聞く際、ジャッジメントをしながら聞けば疲れるが、ジャッジメントを手放せば疲れない。

 

 ジャッジメントは個人的な価値観である。一方、アセスメントは、同じようなトレーニングを受けた治療者であれば個人的なバックグラウンドが違っていても一致する評価である。そして、正しいアセスメントをできることが、ジャッジメントを手放す手助けとなる。ただし、ジャッジメントは、主観的な心の動きであり、一切しないことは逆にできない。だからこそ、ジャッジメントをしていることを認め、それに気づくことが何よりも重要である。

 

 では、そもそもトラウマ体験とは何か。トラウマ体験とは、コントロール感覚を失うことでもある。圧倒されるような出来事に直面し、体制を立て直さなければならない何かが起こっていることを知らせてくれるのがトラウマ症状である。フラッシュバッグで何が起きたのかを反芻するのも、実際に起きたことを理解しようとしているものである。すなわち、必要なのは、コントロール感覚を取り戻すことである。

 

 トラウマに対し、対人関係療法というものが取られる。その中で、人に話すことは重要である。その記憶を想起して、感情の体験を繰り返して馴化を進めることにあるが、これを最も有効に進めるための手段の日つつが体験を人に話すことである。そして、ここで重要なのが、腫れ物扱いせずに安心感を提供していくケアである。

 トラウマのケアにおいて、今は遭難しているけれども、脱出方法がありますよ、というのは大事である。治療を行うことで回復するという安心感がある。一方、私が全ての正解を知っていますよ、という態度はよくない。これは、患者のコントロール感覚を奪うことにつながる。

 罪悪感は、トラウマ患者以外においても治療プロセスを妨げる主な要因の一つであり、対処が必要なものである。回復のプロセスにおいて、自分自身への信頼を取り戻す必要があるが、罪悪感はそれに逆行するものである。何が症状であるかを知ることは罪悪感を減じるだけでなく、コントロール感覚の回復につながっていく。しかし、症状を知ることは、忘れているトラウマを思い出すことでもあり、前進であると同時に、強烈な役割変化が生じる。トラウマ症状が強烈に思い出されることが多く、不安感が強まるが、極めて正常な反応であって、永続するものではなく、回復のプロセスの一環であることを明確にしていくことが重要である。

 境界の設定が必要である。境界とは、ここまでは援助するが、ここからは援助しないという境である。これをうまく設定しないと、相手は裏切られたと感じてしまうし、援助する方も疲れてしまう。他方で、できないことは全て断るのも違う。そこは、断り方、相談には乗るが専門家ではない、というような感覚だろうか。

 

【感想】

弁護士をする上で重要なのは、やはり専門家として、相手を見ることである。そして、それは法律家として見つめるのであって、人間として相手を不必要に見ないことが大事なのだと思う。法律家は、事案を分析するのであって、人を分析するのではない。もちろん、事案を進める上で人を分析する必要はあるが、それは、分析をする上で必要な範囲ですることが重要なのだと思う。

家庭裁判所調査官がよく事件のことで愚痴、というか悪口を言っていた。なまじ心理の知識があるからか、心理学などの知識を用いて人の悪口を言っており、本当に嫌だった。これは、やはりアセスメントとジャッジメントの区別がついていなかったのだと思う。

また、弁護士は、有能感を見せることが重要である。信頼できる専門家として頼られなければならない。しかし、それが法的な知識としての全能感を超えて、問題解決や人間性に及んではならない。弁護士に依頼する当事者は、非常に困難な状態に陥っていて、自尊心が低下している人が多い。そのため、弁護士に頼るときに、弁護士が方的知識に限られない全能感を見せると、そこを無批判に迎合してしまい、弁護士の法律以外の専門知識がない部分の助言についても全面的に信頼してしまい、また、依存してしまい、自分のこととして事件を解決できなくなるのかもしれない。やはり、「法律の専門家であって、人間の専門家ではない。」という戒めを忘れてはならないのだと思う。